SHINKUMI PEOPLE: (写真:左から安保支店長(秋田県信組土崎支店)、本間社長、藤原常勤理事(秋田県信組))
インタビュー・構成 全信組連仙台支店

海と山に囲まれ、自然豊かな秋田県男鹿市。当地から全国に事業を展開する㈱山王電機製作所は、「ファクトリー・オートメーション技術(以下、FA技術)」という工場の自動化技術を活かした設計などを行う企業である。
38歳で電子部品メーカーを退職し、一から会社を立ち上げた本間淳社長の経営理念は「働く仲間一人ひとりが幸せであり、夢を見続けることができる会社、地域社会とあらゆる産業へ積極的に貢献できる会社であり続けること」。働く仲間とともに地域に貢献できる企業を目指す、本間社長にお話を伺った。

御社の事業内容について教えてください

当社は、創業当初から主力事業としてFA技術を活かした生産工場の自動化設備の設計、製作を行ってきました。また、各種ソフトウェアの開発・販売、電子制御回路の設計、各種コントロール基板の設計・製作等も行っています。
例えば、自社商品の「SENSORET.F」は、トイレの節水を可能にした自動洗浄機です。これは、マイコン制御、小型バルブ、電池式等の採用によりコンパクトサイズを実現しています。
主な納入先は、学校、百貨店、病院、サービス・パーキングエリア、ホテル・旅館、官公庁、企業、商業施設など多岐にわたり、多くのお客様にご利用いただいております。

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会社設立までの経緯を教えてください

私の出身地は秋田県ですが、創業前は県外の電子部品メーカーにサラリーマンとして約16年間務め、工場内の自動化等を行うFA設備関係の仕事に携わっていました。
働くうちに、両親に孫に囲まれて生活してもらいたいという想いや、自分のできる範囲で仕事がしたいという想いが募り、38歳の時、父親の具合が悪くなったことを機に思い切って退職し、地元秋田県に帰ってきました。そして、秋田市山王に小さな事務所を借りて、機械の設計や開発を個人業で始めました。
創業後はありがたいことに、サラリーマン時代の繋がりなどから、さまざまな仕事の依頼をいただき、仕事がなくて困ることはなかったです。
その後、サラリーマン時代の後輩2名(秋田県出身)が退職して地元に戻ってきたため、一緒に事業を営むようになりました。そして、もっと責任感を持ってやらなければならないと思い、私が42歳の時、2007年に秋田市の「山王」という地名をいただき、㈱山王電機製作所を設立しました。

会社設立後は順調でしたか?

設立後すぐに、世界有数の電子部品メーカーから3年半にわたる機械製作プロジェクトの打診を受けました。10名規模で対応してほしいとの依頼で、急いで増員して全社的に対応していましたが、たったの1ゕ月半でプロジェクトは流れてしまいました。その後、リーマン・ショックも起きてしまい、大変な時期が訪れました。
全社的にプロジェクトに取り組むことにしていたため、それ以外の仕事を断った関係上、仕事を取り戻すこともできず厳しい時代が続きました。