SHINKUMI PEOPLE: (写真:左から小林善輝取締役常務、児玉賢太郎社長)
インタビュー・構成 全信組連福岡支店

西海陶器株式会社は1946年の創立以来、波佐見焼(はさみやき)の販売を行っている。その販売先は海外まで広がっており、売上高は20億円と国内の陶磁器卸売業界でも五指に入る名門企業である。
そんな西海陶器株式会社が本業とともに注力しているのが、地元波佐見町への集客事業である。世界を見据えながらも地元への愛に溢れる同社の取組みについて、創業者である祖父から数えて3代目、2016年に社長に就任した児玉賢太郎氏にお話を伺った。

西海陶器株式会社の事業内容を教えてください

当社は商社として地元で製造される波佐見焼の販売、加工等を行っています。販売先は創業時から20年ほど前までは消費地の問屋、地方の商店街にある焼物屋が中心でしたが、波佐見焼の知名度の高まりに伴って最近はBEAMS、ユナイテッドアローズのようなアパレル関係の会社が手掛けるライフスタイルショップやインテリアショップなど小売店への販売も拡大しています。
また、本業に付随して波佐見町への集客事業も行っています。波佐見町は人口1.4万人の小さな町なのですが、観光客をたくさん増やして地域を盛り上げていきたいとの思いから、雑貨屋やカフェなどが並ぶ西の原地区を運営しているほか、これからは民泊事業も手掛けていきたいと考えています。

海外展開もされていますね

波佐見焼を世界に広めるため、アメリカ、中国、シンガポール、オランダの4か国に現地法人を設立し、販売を行っています。地方の伝統的なものづくりを行っている企業が海外に拠点を置いている例はほかにはないのではないでしょうか。
海外において、和食器はアジア文化を好む層から大変人気がありますが、決して大衆向けではありません。そこで本社では、各法人の駐在員からの意見を基に、世界中どこの食器棚にでも馴染むようなデザインの食器の開発に取り組んでいます。また、海外の人は産地が波佐見かどうかではなく、「メイド・イン・ジャパン」であることを重視します。彼らのニーズを最大限満たすために、波佐見町以外の産地の焼き物を販売することもあります。
こうした取組みの甲斐あって、今では各法人が独立して採算が合うだけの利益を上げることができています。

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御社にとってのターニングポイントを教えてください

まずは波佐見焼の歴史についてお話しさせてください。今から約400年前、朝鮮出身の陶工により波佐見、三川内、有田といった地で初めて陶磁器の製造が開始されました。それからつい最近まで、これら肥前(ひぜん)地区で作られた陶磁器は有田焼という名称で販売されてきました。
しかし、2002年ごろ、牛肉の産地偽装問題等を受けて地域ブランドの産地表示が厳格化されたとき、陶磁器業界全体で売上が下降気味だったこともあって、有田の工業組合から「一緒に有田焼という名称を使うのはやめよう」と言われてしまったのです。それで当時、長崎県陶磁器卸商業組合の理事長を務めていた当社2代目社長の父(現会長)が「わかった。もう有田焼という名称は使わない」と有田焼ブランドとの決別を宣言しました。それまでは製品に有田焼のシールを貼っていたのですが、その時点で取りやめたのです。それから波佐見焼ブランドの確立に向けた戦いが始まりました。これが当社を含めた波佐見焼業界のターニングポイントです。

波佐見焼ブランドの確立に向けてどのような取組みをされたのでしょうか

波佐見町にある個々の企業がバラバラに取り組んでも大きな力は生み出せないので、企業の枠を超えて、波佐見焼を作る仲間や行政も巻き込みながらこの課題に取り組んでいきました。
最初に始めたのは波佐見焼のアイデンティティ(個性)を明文化し、波佐見町全体で共有することでした。それまでは有田焼という強いブランドで売っており、波佐見焼そのものを市場に訴えることがほとんどなかったため、「波佐見焼とは何か」「ほかの産地のものとは何が違うのか」といった問いに自分たちでも答えることができなかったのです。こうしたなか、学芸員の力も借りながら波佐見焼の歴史を紐解き、模索を重ねていく過程でわかったことが「波佐見焼とは庶民の器である」ということです。ここから一歩踏み込んで「豊かな日常生活を提供するための器が波佐見焼である」というアイデンティティを確立しました。
このアイデンティティの下、波佐見では悪戦苦闘しながらもこれまでの有田焼のような伝統的な様式にとらわれることなく、塩胡椒を入れるかわいい器やオーナメントとしての器など、今の人々のライフスタイルに合わせた多種多様で個性的な器を作れるようになりました。
伝統的なブランド和食器を取り扱う百貨店や焼物屋からは「有田焼のシールが貼ってない食器は買わない」と撥ね付けられてしまうこともありましたが、一方でライフスタイルに着目したセレクトショップや雑貨店が流通の中心となり始めたのもこのころ。こうしたお店においては伝統的なブランド食器よりも若い人向けのオシャレな食器のほうがニーズにマッチすると評価されたのでしょう。新たな販売先の開拓が進んでいきました。

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