SHINKUMI PEOPLE: (写真:左から長田社長、山根勝正広島市信用組合専務理事)
インタビュー・構成 全信組連広島支店

オオアサ電子株式会社は、広島県山県郡北広島町大朝(おおあさ)に本社を構える液晶表示装置の製造会社である。主要製品は車載用や電力用スマートメーターの液晶パネルの表示装置やライトパネルなど。また、ハイエンドオーディオの音響機器も製造しており、同社のオリジナル製品であるスピーカー「Egretta」は、海外でも高い評価を獲得し、日本では全国のプロジェクションマッピング・イベント等での使用を見ることができる。
世界の市場で翼を広げるオオアサ電子・長田(ながた)克司(かつし)代表取締役社長にお話を伺った。


下請けからの脱却――自社製品「Egretta」の開発

日本には特徴的な「下請け構造」がある。下請けは親事業者の庇護の下にあるとされてきたが、リーマンショックによりこの関係は崩壊した。
下請企業は、自社の技術力を市場でアピールし、仕事を獲得しなければ生きていけなくなった。オオアサ電子も技術力を活かし、自社製品として音響やLEDなど多様な製品を製造する。なかでも画期的な製品がスピーカーの「Egretta」である。特徴のあるデザインのため、発売当初はスピーカーとして認めてもらえず、展示会に持って行っても空気清浄機や灰皿と間違われることもあったという。今では知名度抜群の「Egretta」シリーズは、過去に何度もグッドデザイン賞を受賞。現在では東京タワーや品川区の水族館、全国のプロジェクションマッピングのイベント等で使用されているほか、米国ニューヨークのブルックリンにもショールームを設置。洗練されたデザインは世界中から愛されている。

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「当社が求人を出して応募があるのも、Egrettaの知名度のおかげです」と長田社長。
 最新機種は平成28年12月発売のTS1000F。従来品との違いは、既製品を使用していたトゥイーター(高音用スピーカー)を自社で開発したことだ。ナチュラルな音の再生にこだわり、鈴虫の鳴き声をコンセプトにした。住友精化㈱、産業技術総合研究所と共同でポリマー・クレイ・コンポジットという素材を開発し、長時間使用しても割れない耐性のあるフィルムができた。このフィルムの使用により、超高音域までナチュラルに再生できるようになった。
一般的なスピーカーはユニット(スピーカーの音の出る部分)と人が向かい合い、聴く位置によって聴こえ方が異なる。ユニットが前向きで放射状に音を出しているためで、こうしたスピーカーはある一定の距離をとると音が聴こえなくなる。しかしTS1000Fは、ユニットの全側面から音を出すことで、遠くまでクリアに音が広がる。展示会などの広い空間で使用しても、会場の隅から隅までしっかりと音が届くのだ。もちろん、大きな音でも聴き疲れしないよう、柔らかい音が出るように工夫が施されている。
TS1000Fには無指向性という特徴もある。無指向性とは、360度どの方角から聴いても同じように音が聴こえるという性質で、ユニットから離れても距離感を感じにくく、ナチュラルに音が聴こえる。胴体筒部に漆喰のシートを貼り付けることで音質に好影響を与え、洋室にも畳の空間にもインテリアとしてマッチするよう、デザインにもこだわった。
今年の春には、さらなる新機種を発売する予定である。「当社の売上構成は、光学液晶70%、自社製品30%とするのが理想と考えています。当面は主力の光学液晶に重点的に取り組んでいく予定ですが、新機種でさらに世の中をおもしろくできればと思っています」と長田社長は語る。

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故郷で起業し、経営者の道を歩む

長田社長は昭和31年、広島県山県郡大朝町(現北広島町)に生まれた。親族には法曹関係者が多く、神戸市の大学では法律を学んだ。卒業後の昭和54年、生まれ育った大朝で法律の知識を活かして働きたいという思いから故郷に戻った。
当時、大朝町の人口は約4000人。就職難で新卒者の就職先は農協か町役場しかなかった。長田社長も偶然求人が出ていた地元の農協に就職した。昭和58年、転機が訪れた。町議会議員を中心とした有志が、若者の雇用の場の創出に動きだしたのだ。「人と工場を提供すれば仕事を発注してもよい」と申し出る会社が現れ、町から声が掛かった長田社長が「オオアサ電子」を設立することになったのである。
従業員5人でスタートしたオオアサ電子。当初の事業は発光ダイオード(LED)の素子製造であったが、なかなか軌道に乗らなかった。設立から3年後の昭和61年には大朝町長の協力のもと、長田社長は何とか仕事をもらうため全国を行脚。しかし営業先から掛けられた言葉は、「今のうちに会社をたたんだ方が良い」という厳しいものだった。打開策はないかと悩む日々が続いた。
そのような中、長田社長は「液晶」を取り扱う広島県三次市の会社と出会う。これが突破口となった。オオアサ電子は液晶表示装置の製造に乗り出し、これを主力とすることで業績は好転。その後は下請企業としての実績を地道に積み上げ、平成20年を迎えるころには年商10億円の会社にまで成長したのである。