木彫工芸の良さ

原木は、主に九州や四国地方の木材を中心に、井波の地で約3~4年寝かせて使用する。井波の木彫りが発展した理由には、この地域の高湿、多雨、多雪の気候も影響している。木はとても繊細で気温や湿度にあわせて変化するため、井波の気候になじませることで、彫りやすく、割れる虞(おそれ)もなくなり、どんな形にも彫れるのだという。
前川氏曰く、「東京での展示会のことだが、作品をトラックで輸送した時、『ミシッ』という音がしたので、確認するとヒビが入っていた。ところが、展示が終わり井波に帰ってくると木は元通りになっていた」決して、トラックの揺れでヒビが入ったわけではなく、湿度の変化により発生したヒビだったのである。日本海側から太平洋側へ移動しただけでも影響を受けるため、ましてや海外への輸送は難しい。木は種類や育った場所、年数が同じでも、太さも年輪も枝付きも同じものは存在しない。同じ彫刻師が同じ作品を制作しても、木の風合いによって作品の表情が変わる。加えて、彫刻師も木に合った彫り方をするため、時間がかかり、大量生産もできない。だからこそ、ひとつひとつが唯一無二の作品となる。

風神雷神像

井波彫刻の評判を聞いた東京の成子天神社から、前川氏のもとに風神雷神像の制作依頼があった。依頼された像は、いずれも高さ約2m、台座を含めると2.7mほどになる大作で約2年の歳月をかけて完成させた。制作工程や作成秘話などを伺った。
まずは、原木選びと組立て方である。「東京の環境に適した木材とするため、今回の作品には桧を使い、立体的な構造のため、それぞれのパーツを組み合わせる寄木造りとした」そうだ。
次の下絵作成では、完成品をイメージし、依頼者の希望を聞きながら、正確な縮図を紙に描いていく。この時点では二次元の絵だが、前川氏の脳裏には既に立体化された像が出来上がっており、これに基づき作成するのである。
完成品の姿が見えたところで、実際の荒彫り、仕上げと作業が進んでいく。「今回の作品は高さがあるため、地震等の転倒防止策が必須であり、台座を重く、できる限り上部を軽くするため、風神雷神像の中身をくり抜き空洞とした」。
最後の仕上げは、依頼主からの希望であり、この作品で最もこだわった彩色である。「参道に鎮座した姿をイメージしながら、貝殻を原料とする『胡粉(ごふん)』を使った」とのことであり、完成した風神雷神像は、参拝者を優しく見守る表情を持つ鮮やかな色調の彫像に仕上ったのである。
ちなみに、井波彫刻は、通常、着色をしないが、どんな要望にでも応えられることも井波彫刻の強みなのである。
前川氏に、彫刻師としてのやりがいを伺うと、「制作の依頼を受け、完成した彫刻をお披露目するときが一番緊張する。そして、依頼者のイメージ通りに仕上がり、喜んでもらった時の笑顔と"ありがとう"のひとことが最高の喜びだ」と笑顔で話してくれた。
お近くにお越しの際は是非、風神雷神像に会いに行っていただきたい。

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新たなる挑戦

みなさんの家に欄間や衝立などの木彫刻があるだろうか?最近では、和室のない住宅が増え、高いもので数百万円はする欄間を中心とした木彫の販売が難しくなっている。そこで、井波の若手彫刻師達で結成した「井波彫刻青年部」では、先人たちが神社仏閣の彫刻から一般住宅へと制作の対象を広げてきたように、現代に受け入れられる井波彫刻の制作や広報活動を行っている。
前川氏もその一員としてPR活動を行っており、その活動の一環として手掛けたのが「木製シャンデリア」だった。LEDが普及したことで、木材の照明器具であっても火災の心配がなくなったこと、シャンデリアは、元々一点製造が多くオリジナリティの高い製品であることから、ハンドメイドで作る井波彫刻ともマッチし、高付加価値を活かせる商品として制作に至ったものである。
制作にあたっては、前川氏がシャンデリアの原型となる下絵を描き、5人の彫刻師がそれぞれの木彫りパートを担当した。お互いに忌憚のない意見交換を行いながら、約1ヵ月をかけて完成。チームで取り組んだことで、様々なアイディアが生まれ、例えば、元々は単一の木材であったところを、二種類に変更し、デザインにもこだわり、下から眺める目線を意識し、光を灯した時に浮かび上がる影を計算しながら一つ一つの彫刻が施されている。こうして作成された木製シャンデリアは、「ホテルや旅館など、まずは、法人向けのPRに活用していきたい」と考えているそうだ。
まだまだ、新商品の開発は始まったばかりであるが、井波の若い彫刻師達は、互いに切磋琢磨し、協力しながら、井波彫刻を盛り立てるべく、現代にマッチする彫刻の「在り方」に挑んでいる。

富山県信用組合とのお付き合い

富山県信用組合とは、先代の正治氏からの長いお付き合いとなっている。「景気が良い時もそうではない時も足しげく通ってくれ、時には雑談し、時には親身になって相談に乗ってくれた。こんなに身近に感じる金融機関は『けんしん』だけ。先代と変わらず、これからも末永くお付き合いをお願いしたい」と、前川氏は語ってくれた。
井波木彫工芸館を担当する井波支店の井上支店長も井波彫刻への熱い思いを語ってくれた(支店長ご自身も井波地区出身で、前川氏とは学生時代、野球部の先輩(支店長)後輩(前川氏)の間柄)。
今の彫刻師は収入が不安定だ。昔は、欄間で生計を立てられたが、時代の流れとともに状況は変わっている。しかしながら、若手彫刻師たちが更なる井波彫刻の発展のため試行錯誤している姿に「けんしん」としても何かお手伝いできないかと模索している。井波地区は、日本遺産認定があったとはいえ、人口減少、少子高齢化が進んでいる。例えば、彫刻師と企業の架け橋となることで、地域活性化にも貢献できると嬉しい。また、井波地区には、「子供が産まれたら天神様の木彫り像」を贈る風習がある。この風習をまずは富山県全域に広めたい。

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