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ホーム > 信用組合の歴史
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| 1.加入・脱退の自由 | 2.1人1票の原則 |
| 3.出資配当の制限 | 4.購買高配当の原則 |
| 5.政治・宗教からの中立 | 6.組合員教育の促進 |
U.わが国における信用組合の歴史
信用組合の起源はドイツの信用組合ですが、わが国でもほぼ同時期に、「協同」の精神を持った2つの組織が誕生しています。
1.先祖株組合・五常講(報徳社)
先祖株組合は、1838年に大原幽学(おおはらゆうがく)の指導で始まった協同組織です。
下総国長部村(ながべむら)(現在の千葉県香取郡干潟町)で組合員(村民)が、出資として所有地を提供し、土地からの収益で生活に困った村民を救済したり、土地の改良や新たな農地を開拓するための資金とするものでした。
また、五常講は、二宮尊徳(にのみやそんとく)が儒教の教えである「仁義礼智信」の五常の教えをもとに、小田原藩の使用人や武士達の生活を助けるために創設した資金を貸し借りする制度です。この考え方は、後に「報徳社」という組織にその精神が受け継がれ、静岡県を中心に数多く設立されました。
2.明治期の信用組合
明治時代に信用組合の前身となる産業組合が誕生しました。
当時の日本は、資本主義社会へ移行するために金融制度の確立を急いでいましたが、近代的金融制度が整備されても零細な農民や商工業者は信用力が不足しているとの理由から、産業革命期のイギリスやドイツのように銀行の取引先としてみなされませんでした。
この結果起きた庶民の窮状を打開するために、品川弥ニ郎と平田東助は、ドイツに留学して学んだ信用組合制度を日本にも普及させようと設立運動を行い、1900年(明治33年)「産業組合法」が成立し、我が国における(法律に基づく)信用組合の歴史がはじまりました。
3.大正期〜戦前の信用組合
大正期になっても、何度かの好景気にも関わらず中小企業に対する金融は悪化していきました。
この問題に対処するため、政府は都市の中小商工業者による協同組合を作ることとし、1917年(大正6年)に「産業組合法」の改正が行われ、市街地の信用組合は、主に都市の中小商工業者のための「市街地信用組合」と、従来の産業組合法に基づく「準市街地信用組合」に分かれました。
このうち「市街地信用組合」は徐々に定着していき、その結果都市における金融機関へ発展しようとする動きが生じます。その流れを受けて1943年(昭和18年)、今までの「産業組合法」から独立した「市街地信用組合法」が成立し、この法律によって「市街地信用組合」は都市における中小企業者、勤労者その他の国民大衆の金融機関としてその範囲を広げることになりました。
4.戦後の信用組合
第二次世界大戦後は、経済復興のために大企業優先の金融やデフレ政策が行われ、中小企業の資金難は熾烈を極めていきます。このような中1948年(昭和23年)に開設された中小企業庁は、商工協同組合や市街地信用組合を信用協同組合に統合し、その資金利用によって中小企業の金融難を解決する方策を考えました。
この流れの中で、1949年(昭和24年)に成立したのが「中小企業等協同組合法」と「協同組合による金融事業に関する法律」です。この法律によって、一旦は分かれた市街地信用組合、準市街地信用組合、信用事業を行う商工協同組合が信用協同組合として統合されることになりました。
その後、「中小企業等協同組合法」施行後2年を経た1951年(昭和26年)に「信用金庫法」が施行され、市街地信用組合の多くは「信用金庫法」に基づく「信用金庫」に転換し、協同組織性を強く意識した市街地信用組合は「中小企業等協同組合法」に基づく「信用組合」に分かれ、現在に至っています。
信用組合は江戸時代から続く「協同」の精神の基に、発足以来幾多の変遷を経ながら発展を遂げ、今日、わが国におけるもっとも純粋な協同組織金融機関として、生活者のみなさま、中小企業のみなさまの良きパートナーとして活動しています。
